2024年2月に左の甲状腺が腫瘍化(良性)していたのを切除しました。備忘録です。
1.発見から手術を決心するまで。
2021年6月に首の左側が膨らんでいると妻から指摘がありました。鏡で見るとたしかに膨らんでいました。心配になって町のお医者さんに診てもらったら、たぶん甲状腺の異常だから総合病院で診てもらうようにと紹介状を書いてくれました。
2018年まで住んでいた愛知県第二の都市にある総合病院へ行きました。エコー検査で腫瘍があることがわかりました。そのあと細胞診で検査してガンではないことがわかりました。最初は、内分泌科でしたが最終的には耳鼻科に回されました。首部分はいろいろと大切な器官が集まっているので手術で切除を勧められましたが、生活になんの支障もなかったので一年後に再検査をすることにしたのが、2021年8月のことでした。この時点では数センチの小さなものだったようです。
2022年8月にエコー検査と細胞診をして、腫瘍は6cmぐらいまで大きくなっているがガンではないという結果が出ました。さらに一年様子見をして、2023年8月にエコー検査と細胞診をしました。やはりガンではありませんでしたが10cm近くまで大きくなっていました。首を回すのがつらいといった生活への支障も感じられるようになりました。手術しようと思ったのは、細胞診の時に溜まっている液体を抜いてもらったのですが、すぐもとに戻ってしまいましたが数日は首が楽に回せるようになったからです。このまま放置して、さらに大きくなったら生活に問題が出るかなと不安になりました。とくに不安に感じたのが、左下を見るために首が回しにくくなっていたことで、無理にまわすと頸動脈を圧迫するのか頭がクラクラしていました。車を運転中に気を失ったらたいへんです。
手術・入院をするとなると一週間以上社会から外れて病院のベッドのうえで過ごすことになるので、私のような現役を半分引退した者でも時期は選ばないといけません。冬の間は比較的暇なので、12月から3月ぐらいにできないか考えました。そこの病院は手術の予約は3カ月先までだそうで、12月後半にできないかと11月に入ってから病院へいったら、もう1月後半まで埋まっていました。コロナがすこしおさまってきたので手術をする人が多いようでした。最終的には、手術の予約をとるために手術日の三カ月前に診断を受けて手術日を確定することができました。たまたまその週は旧正月にあたっていて、海外でいっしょに仕事をしている人たちも休みだったので仕事への影響も少なくてすみました。
手術前のCT画像です。左の甲状腺がとても大きくなっています。
2.手術前の準備
1月に入ってから手術前の検査などのため二度通院しました。全身麻酔に体が耐えうるかという検査のようで、血液、心臓のエコー、肺機能や麻酔時に口に差し込む管で歯が傷まないかの歯科診療などありました。2週間前には、身元引受人(私の場合は妻)を伴って説明を受けました。コロナ後は基本的に家族が病院で待機することは不可で、手術完了後に担当医が電話で経過を説明するそうです。私の所みたいに家族が二人だけなら、まだいいですが、どちらかが先立ってしまうと入院もできなくなってしまうのは困ったことです。
あとは、最悪一週間ぐらい風呂にはいれないことを想定して髪を短くしましたが、実際には10日間シャンプーできなかったので、思い切ってずっと短いスポーツ刈りとかにしたほうがよかったかなと思いました。
3.入院
火曜日の手術でしたが月曜の10時に入院するよう指示がありました。午後からではだめか確認しましたが、検査や説明があるので午前中から来てくださいということでした。実際に、いろいろな部署の人が説明に訪れましたし、採血などもありました。想像するに全身麻酔なのである程度前から患者を病院の管理下に置いて食事などを制限したいのなと思いました。手術中に大便もらされても困るし、、ということかな?あとメンタル面で患者を落ち着かせるということもあるかもしれません。私の場合、病室へ入っただけで、いつも130より上にはいったことがない血圧の上が155でした。入院日は、まだ病人ではないですが、パジャマでベットに寝て、大部屋だったので、病院食を食べておとなしく早く寝ました。
4.手術当日
手術当日は、終日絶飲絶食でした。10時ぐらいに下着はパンツだけで手術着に着替え、看護師さんに点滴の針を刺してもらい待機しました。11時頃からと聞いていましたが前の手術に時間がかかったのか11時半ごろに看護師さんに付き添われて歩いてエレベータで別フロアにある手術室に向かいました。
手術室はいくつかあって、控室のようなところから出てきた執刀医のひとりや麻酔医、看護師などに自己紹介されたりしましたが、誰だったかまったく記憶が残っていません。人違いを避けるためだと思いますが、何人かに、”今日はなんの手術をしますか?”とわかりきったことを聞かれました。前日に、左右にある器官を片方切除する場合は、どちらかのほうかを左手の甲に書くことになっているそうで、私の場合は”左”と大きくマジックインキで書かれました。
そういえば、病室で点滴の用意をするとき若い看護師さんが、(真相は不明)それをみて、左なのねと言って左腕に点滴針を射そうとして、腕の中央部分が採血失敗で内出血していたので左の手首にトライして失敗し、それがとても痛く、こんなのを二日もしていたらたまらないなと思ったのですが、右腕の普通の場所に差しなおしてもらって今度は翌日までまったく痛くなくよかったなと思いました。なんだったかよくわかりませんでしたが結果はまったく問題ありませんでした。
狭い手術台に寝かされて、まわりに何人の人がいたのか、認識できませんでしたが、xxを取り付けますとかにハイ、ハイと返事をしていて、酸素マスクをかぶせられて、深呼吸をしてくださいと言われるので、深呼吸をしましたが吸う方はかなり抵抗があって吸いにくかったです。麻酔医さんが、麻酔が入るので点滴のところがピリピリしますというので、ピリピリするのかなと思ったがピリピリはせず、もう一度おなじことを聞いあと意識はなくなり、眼が覚めたのは4時間ぐらいあとのもとの病室のベットの上でした。後日同じ部屋の人が麻酔のある手術にいったのをカーテンの向こうから聞いていました、行きは歩いて行って、帰りは看護師さんが病室のベットを手術室まで押していき載せて帰ってくるようでした。あとで家内に聞いたら、午後4時すぎに主治医から電話があって手術は問題なかったと聞いて安心したらしいです。
11時半ぐらいに手術室に行って気が付いたのは午後のたぶん4時すぎだと思います。この間に自分がなにかしゃべったようなのですが、まったく記憶がありません。時計が欲しいと言ったからと思うのですが、そこは記憶がなく、看護師さんに腕時計はどこにあるか聞かれてバッグの右のポケットだと答えた記憶が残っています。まったく記憶が残っていない状況で、いつもは良い子のふりをしている自分が何をしゃべったりしたのかを考えると恐ろしいです。翌日気が付いてみると、パンツは手術室で脱がされて紙のに替えられていました。パンツやマスクはビニール袋にいれて病室に戻されていました。
病室に戻った時点では足には血栓を防ぐためと思われる定期的に収縮/弛緩を繰り返す装置が付けられていて、尿道から膀胱へはカテーテルが挿入されていたのですが、どちらも自分ではどういうものか見ることはできませんでした。看護師さんがこのまま三時間ぐらい様子をみますと言ったとおもうのですが、私の手にナースコールのボタンを持たせて行ってしまいます。容態が急変すれば装着してるモニター装置でアラームが飛ぶようになっていたようです。
半覚醒のような状態でしばらくたって、実際にはカテーテルから外の袋に垂れ流されているはずなのに、トイレに行きたいような気がしたので、ナースコールを押して、自分でトイレに行きたいと言いました。甲状腺の手術をすると反回神経にどうしてもさわるそうで声がでにくくなるそうです。私の場合は声がかすかにしか出ていなくてマイク越しに声が届いたかは不明ですが、来てくれて、収縮装置を外して、カテーテルを抜いてくれました。カテーテルを抜くときに、漏れませんか?と聞いて、ティシュを数枚使いますと言われて、漏れませんでしたという非日常的なやりとりを覚えています。この看護師さんが誰だったか、向こうは覚えているでしょうが、こちらはまったく記憶がないのは良いことです。看護師さんが立ち上がれるか、確認して、点滴を持って、胸から出ているリンパ液を流し込むドレーンと心電図のモニターを首からぶら下げて、トイレまで歩けるか看護師が確認して、なんとか便器に座り、おしっこがでないか頑張ったのですが、出ませんでした。頑張って5m先のベットまでもどり、ついでなので水が飲めるか看護師さん立ち合いのもとトライすると何とか飲めるものの喉の筋肉を切っているらしく、かなり注意しないといけませんでした。
主治医が説明に来たような気がするのですが、覚えていません。恥ずかしいとか惨めな気持ちがするとかというレベルではなく、自分がどうなっているのかわからなくて精神は混乱の極みであったようでした。
あとは安静にしていましたが、深夜にまた起き上がって洗面所で自撮りをして家内に送って、おしっこが出そうな気がするので何回もトイレに立って翌朝までどうやら寝たみたいです。熱のせいかカテーテルを抜いたときに擦れたかで排尿のとき尿道がいたかったです。この間、紙のパンツは紐がゆるんで外れて背中に回っていたのですが自分がパンツをはいていないことにも気が付きませんでした。着ていた手術着やシーツが汚れてはいなかったので、粗相はしなかったようでした。
5. 手術翌日
消化器の手術ではないので、翌日は朝から食事がとれるはずでしたが、看護師が心配したのか、しばらくおあずけになって、主治医が出勤して許可がでてからお粥の朝食を取りました。食道はさわっていませんが付近の筋肉や神経はさわっているので飲み込むとき痛かったので、ゆっくり慎重に完食しました。パンツをはいてないことに気が付いてはきました。何時ごろか忘れましたが、看護師さんに手伝ってもらって、点滴などのチューブやコードに気をつけて手術着を脱いで自分のパジャマに着替えました。パンツはいててよかった!
水は飲んでいませんがオシッコが異常に出ます。点滴で水分を入れているからだそうです。
大便のほうは入院日に自宅でしてから出ていませんでした。出たのは手術後3日目で水分が腸に行ってないのか真っ黒に乾いたものでした。
この日は夕方まで心電図のモニター装置が付いていました。
主治医は朝に回診に来て、夕方は同じフロアの診察室で診察を受けました。点滴はもう必要ないと言うので針を抜いてもらいました。
残っていたのは、腫瘍を摘出したところから出てくる血やリンパ液を排出するドレーンというもので、液量が少なくなるまで抜けないということでした。下の写真は心電図を外した後のものです。
胸にチューブが刺さっていて、その先に容器がつながっていました。
体温は入院時より1℃ぐらい高く、若干熱っぽかったです。体が切った所を直そうとしているわけで、体温が高い状態は数日続きましたが高熱は出ませんでした。切った所は動かさなければ痛くありませんでしたが、さわると痛くて熱を持っているのがわかりました。
6. 手術後翌々日-退院日前日
翌々日も体温が高い状態が続き、あまり苦しくはなかったですがなにもやる気は出ず、2時間おきぐらいにトイレへ行ってはベッドでじっとしていました。水を飲まないとと思って一日ペットボトル2本以上の水かスポーツドリンクを飲みました。二日間は夜アイスノンを借りていましたがなければ眠れないほどではなかったです。
当初の計画では手術後3日でドレンを抜いて5日目に退院だったのですが、腫瘍が巨大で大きく切開したのでリンパ液/血液の出が治まらず5日目の退院は無理となりました。予定を調整するために電話をかけたのですが声がガラガラでとても出にくいのに驚きました。とりあえず自分の声には戻ってきていましたが発声のコントロールが難しかったです。
漏れてくるリンパ液の量が一日29mLを下回ることがドレンを抜く目安だそうですが、術翌翌日/36mL、術後3日目/26mL、術後4日目/26mL、術後5日目にやっと10mLになりドレンが抜けました。手術翌日はどれだけ出ていたか聞いていませんが、看護師が一日数回ドボドボと排出していたのでかなりの量だったと思います。
ドレンは診察室で麻酔とかするのかなと思ったのですが、ただ椅子に座った状態で、”すこしもぞもぞしますよ。”と言われて主治医が胸をところをごそごそして、たしかにチュープが抜けてくるモゾモゾ感がありましたが、ほとんど痛くはありませんでした。
というわけで、術後6日目はドレンを抜いた後の様子見日で、術後7日目の退院が予定されました。自分で車を運転して帰るので、ちゃんと歩けるのか心配で5Fの病室から1Fのコンビニまでエレベータで降りて歩いて行ってみました。術後5日目は歩くと熱が出て少し発熱しましたが、術後6日目になると改善されて、なんとか帰れるかなと思いました。
術後6日目に胸より下だけシャワーをしました。それまでは看護師がもってくる蒸し紙タオルか洗面所で自分のタオルを濡らして顔、髪、足と汚れやすいところを拭いていました。お尻はいまはウォシュレットがあるので便利です。暑い時期でなくて良かったです。
7. 退院日
退院日は朝、主治医が見に来て、大丈夫そうなので退院ということになり朝食を食べてから荷物をまとめ着替えて、9時過ぎに診療費の請求書が来たので、1Fの会計で支払いを済ませました。請求金額の合計欄は100万近い数字が書いてあるのですが、食費以外は国民健康保険の対象で、さらに高額医療費補助制度が適用され自己負担額は10万円以下で済みました。いつも国民健康保険料は高いなと思うのですが、この時には、うまく制度が働いているなと思いました。そのあと耳鼻科の診察室で糸を切ってもらいサージカルテープで保護してもらって、次の通院日を再確認し、手首に巻いてあった個人を識別するためのバーコードがついたバンドを切ってもらって、晴れて退院となりました。10時の退院でしたが10時半には、もう次の患者さんが自分がいたベッドに入るそうで、とても忙しい病院でした。
ゆっくりと慎重に駐車場の自分の車のところまで歩き、時間をかけて準備をし慎重に運転して自宅へ帰ってきました。
自宅で10日ぶりに髪を洗いサージカルテープをはがしてみました。ドレーンのチューブが入っていた穴は抜いてから2日目なのでまだふさがっていませんでしたが、切開した痕はとりあえずふさがっているようでした。
自分でテープを貼りなおしました。最低でも3カ月ぐらいは数日おきに貼り変える必要があるそうです。そのあとは傷をきれいに直したいなら、さらに半年-1年養生がいるらしいです。
まだ首を激しく回したりはしていませんが、術前よりすいぶんと楽になっていて良かったです。
私の場合は、良性甲状腺腫瘍ながら大きくなりすぎたので切除しました、人によっては大きさがかわらなかったり、自然に無くなってしまう例もあるらしいです。切るかどうかはケースバイケースと思います。
8. その後
術後10日目の後半から体温が上がり気味になった。11日目の夕方には36℃代後半になり深夜には38℃に迫った。喉の奥も痛くなった。手術後遺症の痛みは左側だけだと思うが、右側も痛かった。12日目の朝には、36℃代後半に戻っていた。この日は日曜日で救急外来へいくほどではないと思ったので安静にしていた。12日目の夜はまた37℃代になった。咳は出たがたいしたことはなかった。タンもでたが血は混じっていなかった。手術の後遺症にしては重いかなと思った。水をたくさん飲んで寝たので何度も起きてトイレに行った。苦しくてたまらないという状態ではなかったが、普通でもなかった。
13日目の朝、体温は36℃代前半に下がっていた。迷ったが感染症の場合人に迷惑をかけるので検査をしようとおもった。
町のドラッグストアでコロナの検査キットが無いか聞いてみたが、少し離れた市部の薬剤師のいる店にしかないようだった。以前は研究用のキットが山積になってるのをみたことがあるが、あれはもうネットでしか買えないのだろうか?
結局しばらくご無沙汰していた町のお医者さんに行った。玄関に発熱の方は入らずにインターホンで要件を言うよう書いてあった。指示に従い車の中で待ち先生が出てきて鼻の穴を綿棒でぐりぐりされて15分ほどさらに待ったら携帯で結果を通知されて、コロナ陽性、インフル陰性という結果だった。診察費の支払いも看護師がやってきて車の中ですませ、隣の薬局まで車を移動させ、薬の受取/支払いも車の中ですませて帰ってきた。おなじような人が何人も来院していたようで、ぜんぶすむまで2時間近くかかったが、手順はそれなりに確立されているようだった。
現在コロナは、発症日を0日目として5日目まで人との接触をさけないといけないそうで、今回の場合は、熱が出始めた前週金曜を0日目とすれば、5日目は今週の水曜日となる。
術後14日、コロナ発症後4日目:
薬の効果はすごくて体温は平熱だが気分的にはかなり熱がある。頭は軽く痛いしタンもでる。咳止めを飲んでいるせいかセキはでない。
水は注意すればゴクゴク飲めるようになってきたが、切った左側の筋肉が動くとき痛くはないが違和感がある。飲み込む物が食道にひっかかる感じがある。水などで流し込むと胃に到達する感じ。声はガラガラだが、どちらの影響が大きいかは判断のしようがない。手術のせいなのか、コロナのせいなのかわからなくてなってきている。はやく健康に戻りたい!!
amazonに注文してあった検査キット(研究用)が届いたので試してみた。
検査結果はコロナ陽性だった。最初は線がぼんやりあるような気がしたが指定どうり5分ほど放置するとくっきり見えた。
夕方コロナの発熱は落ち着いてきたのでシャワー、洗髪をしてサージカルテープを貼り替えた。剥がしたあとを撮影。
なんとも汚らしいというか醜いことになっているが、順調に傷は癒えているようだ。まださわると痛かったりしびれたり、無感覚なところとか、穴があいているように見えるところもあるけれど三カ月ぐらいで平らになっていくらしい。いまのところ湯舟には傷を浸けないように言われているが、温泉もOKになるといいなぁ。
発熱開始から5日目には解熱剤を飲まなくても平熱に戻っていた。研究用検査キットでも陰性になっていた。まだ声がおかしいし喉の調子が悪いが、たぶん手術のせいだろう。半年ぐらいで徐々になおるか、一生なおらないかわからないが、致命的な問題ではない。
術後16日、コロナ発症後6日目:
通院して手術後の様子の診察を受けた。傷は順調に回復しているそうで、入浴して石鹸で傷をきれいにしても良いと言われた。温泉も可だそうです。すこし先の5月に診察を受けるよう予約してきた。