前の記事の永久穂神社(?)から約300m離れた、海抜約640mの尾根にある祠です。愛宕神社というのですが、それを示すものは、明らかでありません。何十年ぶりかに現地に行きました。
左の人には何か文字が彫ってありますが読めません。
右の祠には穴があいていて、ここから覗くと中に何か書いた木片があるのが見えます。
これの横にも何か書いてありますが良く読めません。左側の文字は、"杉平村"と書いてあるようです。
昭和50年頃ここへ来た時は木が小さく、もっと開けた所でした。ふもとの町が良く見えましたが、今は薄暗くなっています。
昭和35年発行の明智町誌には、一夜城の伝説として以下の記述があります。
門野の大平山に一夜城の跡がある。甲州兵が明知城を攻めるおり、秋山伯老守は戸障子をここに建て廻し、一見して白壁の城のようにみせかけたという。慶長8年に遠山氏はこの陣屋の跡に愛宕神社を勧請し、鬼門除けとして建立した。今も門野・杉平両部落で6月24日に祭をしている。別の文献によれば天正2年(1574年)のこととなっています。この記述が正しいとすれば明知を攻めた武田軍が山の上に砦を築いたように見せかけたということになります。明智城と、この山との位置関係は下のようになっていて、向こうの山に突然城が現れたらびっくりすると思います。別の伝説もあって、ここには攻めてくる武田軍を防ぐための砦が作られていたという説です。山の上に砦を築こうとしたらふもとの村から人力、物資を調達しなければならず、こっちのほうが本当らしい気もしますが、こんな山の上に攻めてくるんでしょうか?
いずれにしても、この山はたいへんなところで、ふもとの部落から標高差200mあります。こんなところに砦を作って何の意味があるのか、現代的には意味不明です。南側は急斜面に深く轍(人なのか馬なのか、木を引きずった跡なのか定かでない)が掘られた登山道がいく筋かあります。山頂は三方向がかなり切り立った斜面で砦としては良く思えます。北側が尾根沿いに入ってこれますが、昔は深い山だったかもしてません。今は林道が通っています。歴史ロマンですね。