2015年5月アーカイブ

廃屋

それは、こんな山道を歩いて行った先にあります。車ではいけません。道はかなり荒れていて木が倒れていたりするのでバイクも無理です。

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家が建っていた石垣が残っています。建物があったという名残はほとんどありません。わずかにコンクリートを使った遺構が少しあります。木造建築だと5~60年も人がメンテナンスしなくなると跡形もなくなるようです。

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ここは、家の入り口だったんでしょうね。

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 家の跡に木を植えたそうです。草屋根が落ちた家の残骸の中に木を植えたらしいです。屋根とか床を構成していた材木は完全に土に帰っています。

 お風呂の跡のようです。コンクリートの構造物はかなり残るようです。鉄(?)の風呂桶も残っています。

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昭和の初めまでは材木が高くて山があればよい生活ができたらしいです。山の中は、きれいな水、燃料となる木があり、それなりの食糧も山で採ってきたり畑でつくれるし谷川があるので時には渓流魚も取れたりで、電気も電話も無くても自給自足で暮らせたようです。でも町の生活が便利になり流通が発達してくると不便な山暮らしはいやになったのでしょうね。ここに住んでいた人は50年以上前に、山などを人に売って町へ引っ越したそうです。買った人は木を植えましたが、現在、国産の木材は価格が下落して、こんな山のなかから搬出したら、まったく採算がとれません。

 

 さらに杉野一夜城について考察を進めます。下は明知城跡です。ここは明智の町に近いこともあり整備されています。観光案内版には、遠山氏の居城だったが、武田の軍勢によって天正二年(1574年)春に落されたと書いてあります。一夜城についてはふれてありません。

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 明知城跡は木が大きくなっていて眺望はあまりありませんが、向こうに一夜城があったという山が見えています。

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 一夜城があったという山も木が大きくなってしまっていて明智の町の眺望はありません。しかし40年前に来た時には町が見下ろせたような記憶があります。明知城を見下ろせるということでは戦略上よかったのかもしれません。この山は、不自然に段が付いているところがありますし、かなり険しいところもあって一夜城伝説にはふさわしいところです。ただ、400年もまえのことで木造の何かがあったとしても、燃えたり腐ったりしたら残っていないわけで、本当に伝説です。

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 山頂から下ったところにある石の祠と地蔵さん。石は比較的残ります。この表面に彫ってある文字を何とか読んでみました。

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 石の祠の右側。

門野村 文化六己巳年 と彫ってあるようです。

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 左側

九月吉日 杉平村  と彫ってあるようです。文化六年に門野村と杉平村が共同で建てた物のようです。

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 地蔵さん。

これが風化が進んで解読困難ですが、享保七(以下判読できないが、壬寅かもしれない?) と彫ってあるようです。

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つまり、石の祠が、文化六年(1823年)、地蔵さんは、享保七年(1742年)ということになり、遠山氏が慶長8年(1622年)に勧請した愛宕神社そのものでは無いということです。謎はますます深まります。山頂が一夜城伝説に続き江戸時代の初めに遠山氏が建立したという愛宕神社の名残で、ここにあるのは、江戸後期に地元の部落が建立した愛宕神社に、謎の地蔵様を一緒に祭ったものなんでしょうか?江戸後期でも一夜城からは200年たっているわけで、そのころでも現代と同じく伝説の一夜城であったと思います。あるいは愛宕神社建立から200年を記念して祠をつくっただけなのかもしれず、一夜城は後世の創作なのかもしれません?

その後、考察ー2で撮影した木片の"愛宕大権現"の上に書かれている文字をよく見てみました。そこには、"再建立"と書かれているではありませんか。なんらかの原因で失われてしまっていた(記録には残っていた)愛宕神社を文化六年に再建立したということのようです。

 

杉野一夜城跡ではないかという大平山(?)にまた行ってきました。三角点の木柱は折れてしまっていますが、国土地理院の測量担当者などは、来たところのはずです。道はないのですがまったく人気のない所ではないはずです。近くにある永久穂神社がなんであるかは、まだ不明です。近くに缶ビールの空き缶が落ちていました。山歩きをする人は缶を捨てたりしないでしょうし、山仕事の人は缶ビールは持ってこないと思います。そうすると、そこの神社のお祭りをしている人がいるのかもしれません。人里離れた山の上とは言え、茂った木の隙間から麓の田んぼや人家がちらちら見えます。もしかしたら、昔はこのあたりまで焚き木など取りに来ていた範囲だったかもしれません。そうすると、どこかの家の屋敷神である可能性あります。あるいは、一夜城伝説が本当だったとして、このあたりで戦闘があったとしたら戦死者を弔った神社かもしれません。

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 そこから下ったところにある地蔵さんです。右に彫ってある字が読めないかと頑張ったのですが風化してしまっていてわかりませんでした。文化財のようなものですので、墨を塗って拓本をとるのははばかれてます。霧吹きと和紙を持ってきてタンポで拓本を取ったらよいかもしれません。

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 こちらの祠も字が彫ってあるのですが、読めませんでした。明智遠山氏が建てた愛宕神社ということですので、400年も前から、ここにあるんでしょうか?

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 祠の穴の中に木片がいくつか入っています。たぶん上の屋根を外すことができる構造になっていると思われますが、そんな罰当たりなことはできません。

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木片のひとつに、愛宕大権現と書かれています。年代が記されていないかみたのですがわかりませんでした。愛宕神社の支社はネットで調べることができますが、ここに愛宕神社があるとは載っていませんでした。