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猿投温泉

言わずと知れた猿投山のふもとの温泉です。日帰り温泉もあります。ちょっと高いですが、貸しタオルに浴衣も無料で使えるようです。私は放射能泉が苦手なのでめったに行きません。

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旧豊田市内ですが、途中、人家も無い山道の奥にあります。温泉旅館や遊歩道もあって結構大きなところです。敷地内を谷川が流れていて滝とかもあります。

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水量かなりあります。

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岩風呂と言っていて巨岩をあしらったお風呂ですが、いかんせん知名度が高すぎて、お風呂の大きさに対して入浴者が多すぎます。ゆったりは難しいです。普通の人が休日にお風呂だけを期待して行くとがっかりすると思います。お風呂に入って浴衣を着て、館内でゆっくり食事などすることを温泉側は期待しているのかもしれません。

 

 

 さらに杉野一夜城について考察を進めます。下は明知城跡です。ここは明智の町に近いこともあり整備されています。観光案内版には、遠山氏の居城だったが、武田の軍勢によって天正二年(1574年)春に落されたと書いてあります。一夜城についてはふれてありません。

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 明知城跡は木が大きくなっていて眺望はあまりありませんが、向こうに一夜城があったという山が見えています。

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 一夜城があったという山も木が大きくなってしまっていて明智の町の眺望はありません。しかし40年前に来た時には町が見下ろせたような記憶があります。明知城を見下ろせるということでは戦略上よかったのかもしれません。この山は、不自然に段が付いているところがありますし、かなり険しいところもあって一夜城伝説にはふさわしいところです。ただ、400年もまえのことで木造の何かがあったとしても、燃えたり腐ったりしたら残っていないわけで、本当に伝説です。

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 山頂から下ったところにある石の祠と地蔵さん。石は比較的残ります。この表面に彫ってある文字を何とか読んでみました。

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 石の祠の右側。

門野村 文化六己巳年 と彫ってあるようです。

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 左側

九月吉日 杉平村  と彫ってあるようです。文化六年に門野村と杉平村が共同で建てた物のようです。

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 地蔵さん。

これが風化が進んで解読困難ですが、享保七(以下判読できないが、壬寅かもしれない?) と彫ってあるようです。

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つまり、石の祠が、文化六年(1823年)、地蔵さんは、享保七年(1742年)ということになり、遠山氏が慶長8年(1622年)に勧請した愛宕神社そのものでは無いということです。謎はますます深まります。山頂が一夜城伝説に続き江戸時代の初めに遠山氏が建立したという愛宕神社の名残で、ここにあるのは、江戸後期に地元の部落が建立した愛宕神社に、謎の地蔵様を一緒に祭ったものなんでしょうか?江戸後期でも一夜城からは200年たっているわけで、そのころでも現代と同じく伝説の一夜城であったと思います。あるいは愛宕神社建立から200年を記念して祠をつくっただけなのかもしれず、一夜城は後世の創作なのかもしれません?

その後、考察ー2で撮影した木片の"愛宕大権現"の上に書かれている文字をよく見てみました。そこには、"再建立"と書かれているではありませんか。なんらかの原因で失われてしまっていた(記録には残っていた)愛宕神社を文化六年に再建立したということのようです。

 

以前の記事で一夜城について書きました。

昭和35年発行の明智町誌には、一夜城の伝説として以下の記述があります。門野の大平山に一夜城の跡がある。甲州兵が明知城を攻めるおり、秋山伯耆守は戸障子をここに建て廻し、一見して白壁の城のようにみせかけたという。慶長8年に遠山氏はこの陣屋の跡に愛宕神社を勧請し、鬼門除けとして建立した。今も門野・杉平両部落で6月24日に祭をしている。

この文章は、伝説のところに書かれていますが、実際にふもとの部落の年中行事には旧暦6月24日のあたごやまのお祭りが入っています。慶長8年は、徳川幕府が成立し戦国時代が終わり安定した時代に入った年です。明知を治める遠山氏としては鬼門の方角の山に神社を置いて邪悪なものがはいってこないよう魔よけとしたのでしょう。神社については信ぴょう性が高い縁起話として理解できるのですが、一夜城のほうは本当にあったんでしょうか?

あたごさんと言っている石の祠は山頂ではなく、かなり下った町を見下ろすところにあります。山頂には永久穂神社と彫った石があります。こちらのほうは文字が非常に鮮明なので比較的新しいものではないでしょうか。このあたりは現在の地籍では、大平ではなく"花柄"という地域です。山で人は住んでいません。大平というのはあちこちにある地名で、串原村には今も大平という地区があります。誰が書いたのか、山頂の三角点近くに"大平"という文字と標高を書いた札が下がっていました。国土地理院のHPで調べると、ここは4等三角点TR4523773801 基準点名 大平 とあるので、歴史的地名では、大平であったようです。

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 あたごさんの石の祠

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 山頂にある永久穂神社

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1500年代終わりごろの 戦後時代末期には、このあたりは三河の織田氏と甲斐の武田氏の勢力圏の境だったそうで、両軍がこのあたりで何度も激突したらしいです。ただ、この不安定な時代に何がほんとうにあったかは記録があまり残っていないのではっきりしないようです。ネットで情報を調べても、諸説混沌としていて、どれがほんとかわからないです。歴史を書く人は地元やひいきの英雄に都合よく書くし、大衆受けするための誇張したり、作り上げたりは当然あるでしょう。

杉野一夜城が実際に出現したとしたら、いつのことか考察してみたいと思います。この地へ侵入した武田軍との戦闘を上村合戦と呼んでいるようです。飯田城主の秋山氏が上村(今の上矢作町)方面から侵入し戦闘となったことから、こう言っているようです。当時は遠山氏が岩村城や明知城を治めていて、どちらかというと織田寄りだったようです。一説では元亀元年(1570年)12月に武田(秋山氏)が攻めてきたということになっています。元亀3年(1572年)12月という説もあります。この場合、あたごやまは、戦闘とはあまり関係ない位置なので一夜城が出現するとは考えられません。この時に岩村城も明知城も武田側に落ちたと書かれたものがありますが、そうすると以降の話がつづきません。元亀3年(1572年)12月の戦いで岩村城は武田側に落ちたとするものもあります。女城主の伝説があります。

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 ほかの説では、天正2年(1574年) 2月に武田軍が明知城を攻めて落城させたというのがあります。この時、武田側は明智の北に陣をはったとあります。岩村城から発進したんでしょうか?となると、杉野一夜城の出番となります。信長公記という伝記によると織田信長も明知城を助けるために出陣したが間に合わず明知城は落城してしまったとあります。信長公記には一夜城のことは書かれていません。

昭和43年発行の串原村誌には、城の種類の解説のところに"陣営の城"の例として、天正2年武田勝頼が明知城攻めの際の杉野一夜城を挙げています。このあたりの出典を知りたいところです。下の地図では岩村から明知の途中に一夜城が位置していて、ありそうな話にしていますが、現在の道が400年前の道と同じあたりにあるとして、一夜城は道から数Km離れた道なき山の上となります。現在の感覚では馬で行けるようなところではありません。とは言え、そんな山の上の方に神社の石の祠があったりするわけですから、昔はそんなのが普通だったのかもしれません。

明知城落城については、諸説あって信長は明知の北西にある鶴岡山に陣を張った(張ろうとしたが、到着前に明知城が落ちてしまったので瑞浪市のあたりで引き返したと信長公記には書いてある)と言われています。鶴岡山は行ったことありませんが、山頂あたりに神社があります。こちらはけっこう有名です。鶴岡山には信長のほか明智光秀も駆け付けたといった説もあり、光秀は信長の家臣なのでありうる話ではありますが、あまりにできた話で、え!本当?とうなってしまいます。

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 明知城が武田側に落ちた後、織田氏が武田氏を長篠の戦いで打ち破って勢力を高め、明知城や岩村城を取り返したり、信長が本能寺で殺されたり、秀吉が天下を取ったあと徳川が安定政権を築くまで、たくさんの人が殺されたり戦国時代後半の50年ほどは大変な時代であったようです。そのころにあたごやまで何があったかは、まったくもって不明です。

明知城からはあたごさんの神社があるあたりも山頂のあたりも良く見えます。こんどは、石の祠に何が彫られているか調査してこようと思います。

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文中、明智と明知がごちゃごちゃになっていますが、現在、岐阜県恵那市にあるのは、明智町です。昔はこのあたりは明知と言っていて、1954年(昭和29年)に明知町と静波村が合併して明智町になりました。杉野一夜城のあったあたりは、旧静波村です。ちなみに、明智光秀は、"明知光秀"ではありません。美濃の明智氏の出身といわれ、恵那市の明智とは本当は関係の薄い人物というのが定説です。

団子杉

実家の方にある岐阜県指定天然記念物です。数十年ぶりかで行きました。遠足で行った以来ではないでしょうか。

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大きな古代杉です。樹齢千年以上とか、、昔行った時は枯れかけてたような印象ありましたが、今は手厚く保護されて元気になったようです。

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その名のとおり団子のような形をしていて、植林する杉とは違う植物に見えます。

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明知城の水源だったという沼があります。

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行った時は、カモさんが一羽とやせた鯉が数匹泳いでいました。近くに人家が数軒ありますが、トイレと駐車場も整備されていて、木陰でのんびりするのも良いかもしれません。ちなにみ携帯はDocomo, Softbankとも圏外の山影です。

金沢201502

金沢は、東京から新幹線が延びるので、最近よくテレビなどで紹介されていますが、たまたま、この時期に行ってきました。まずは福井までバスで行って、えちぜん鉄道三陸芦原線で温泉に行きます。

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一両のみの電車でした。あわら湯のまちという小さな駅で降りて温泉行きます。

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温泉いっぱいありますが、とりあえずひとつ入ります。

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駅まで戻ってバスで北陸本線の芦原温泉駅に行きます。距離的には4kmなので、時間があれば歩けない距離ではありません。

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JRの芦原温泉駅、ここから金沢行きます。

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金沢は新幹線開業前で観光誘致に力入れてます。金沢城ライトアップ。ライトアップバスというのが走っていて、この寒いのに夜の街に人が行き来してます。ボランティアの人がバス停で待機していて夜の花街?を駆け足で案内してくれます。暖かくなったら、たいへんな人出になるかもしれません。夜の近江市場いきましたが、午後7時は、もうほとんどの店が閉まってました。

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金沢駅の裏口?地下にサッカー場より大きな空間があります。金沢駅周辺は、外資系含めホテルたくさんあります。けっこうな都会に見えます。

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新幹線乗り場は工事中?でした。

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帰りは北陸本線、加賀温泉駅で降りて山代温泉いきます。温泉手形というバスの切符と入湯がセットになったのを利用しましたが、数時間では利用しきれませんでした。

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福井駅まで北陸本線で行って、バスで名古屋方面へ帰ってきました。

香港2015

香港行きました。3年ぶりです。1月の香港は天気良くなかったですが、あまり寒くなくて良かったです。昼間は、なんとなく煙ってます。

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しかしながら夜景は健在でした。ピークは夜でも人でいっぱいです。

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カオルーン側のsky100とかいう高層ビルから見下ろした港

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最近行った温泉

 2014年の8月初め腰が痛くて、ほとんど歩けなくなりました。週末に近くの温泉へ通ったのが良かったのか、3週間ほどで直りました。たまたま治癒の過程にあったその時期に温泉に行ったというだけのことという可能性はありますが、温泉の効能というのは、けっこうあるのかもしれません。以下は7月、8月に行った温泉の一部です。

 

柿野温泉、あさひ荘。ここは二回目です。

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 内風呂は、まあ普通です。 asahi-2.jpg

露店風呂は、田舎の風景が見えます。男湯のほうは、浴槽が二つあって広いです。

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 駒ケ根ビューホテル、中央道の駒ケ根インターを出たあたり温泉施設がたくさんあります。そのうち日帰り温泉をやっているところの1軒です。 

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 標高870mとあります。

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 お風呂は、あまり広くありませんが、環境は良いです。

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 露店風呂は、渓流沿いにあって緑が濃いです。

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 伊那谷、水晶山温泉。場所が良くわからないところで、中央道の園原インターと飯田インターの間にある飯田山本インターから5分ということなのですが、古いカーナビには、このインター載っておらず、またこのあたり道路の整備が完了していないので、道をよく調べていかないと大変なところです。私は1度目、別の温泉のついでに行こうと思ったときはカーナビの案内を信じて山道を駆け上がり山をぐるぐる回って1時間以上さまよった挙句、こんなところに温泉があるわけがないと思って、あきらめて帰ってきましたが、事実は引き返した道のその先にこれがあったのでした。センターラインの無い山道でした。2回目の今回はある程度地図を見ていきましたが、一度目的地と反対側に行って、ぐるりと回って帰ってこないと正しいコースにのれないというトリックに引っかかってインターから一時間ぐらいかけて推奨ルートと反対側から到着しました。ほんとは道を間違えなければ実際に5分で行けます。現地がまたよくわからないところで、到着したものの、どこから入ったらいいのかわからないなど、謎の多い温泉です。xtal-0.jpg

 施設は、大きく立派ですし温泉も良いと思います。アクセス方法をうまく周知すれば、良いのにと思いました。お客さんは、結構多くて夕方行きましたが、帰るころにもグループがぞくぞく入館していました。みなさん飯田地方の方なんでしょうか?

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 不動温泉。長野県の浪合村にあります。153号線を北上して治部坂のスキー場を超えて10分ぐらいです。

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 内湯は広いです。

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 露店風呂も広いです。中央に見えている四角い屋根は東屋です。隣を流れている深い谷には滝が見えます。東屋の方まで行くと川とか向こうの道路まで見えますが、むこうからも見えるということですね。まぁ男湯なんで、いいですけど。

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 とても展望の良い露店風呂です。このほかに、源泉の湯船もあります。源泉は20度ぐらいだそうで、ほんのり暖かいお湯でした。

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ホテルなど宿泊施設で日帰り温泉もやっているところは、宿泊客は夜来て朝帰ってしまうせいか、昼間はすいてることが多く、ゆったりできることが多いです。

 

天竜川系温泉

4月末の土日で飯田市周辺、天竜川沿いの温泉をまわってみました。このあたり地殻が普通ではなく温泉いっぱいあります。その気になれば、一日に4~5軒以上いけますが、ほどほどが良いと思います。

 天竜峡、龍峡亭。JRの天竜峡駅から橋を渡った対岸にあります。送迎バスもありますが、歩いても行けないことはありません。事前に道順を調べておくか駅の横の観光案内所で聞いて、整備された遊歩道を通ってゆっくりゆっくり歩いて30分ぐらいで行けると思います。つつじ橋という恐怖のつり橋を通って行きます。車なら5分ぐらいです。天竜峡の絶壁に張り出した温泉旅館です。

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 お風呂はラジウム泉で、旅館の構造上、小さいです。窓の外には新緑が望めます。時期が合えば桜や紅葉も楽しめると思います。

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 はるか下の天竜川に天竜下りの船とかも見えます。宿泊で峡谷側の部屋なら、すばらしい眺望と思います。

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 湯本、久米川温泉。飯田市のにぎやかなところから車で20分ぐらい、田んぼの中に突如あらわれる温泉旅館です。なんでこんなところに温泉旅館と思うのですが、たぶん、掘ったら出たんで立てたんではないでしょうか?

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 まわりが田んぼなので、お風呂からも田んぼがみえるのかと心配したのですが、お風呂の外は里山で桜に花桃、新緑が望めます。落ち着けます。立地条件からか宿泊でもリーズナブルな、お値段で、穴場かと思います。ただし付近に、お店とかないので、食事なしにした場合は飯田市内で食糧を調達していかないと困ることになります、

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 かぐらの湯。飯田からは少し離れた遠山郷にある日帰り温泉です。塩っ辛い塩化物泉です。豊田とかから普通に行くと、酷道418号線を通ることになります。道はかなり改良されていますが、おきよめの湯から鶯巣駅のあたりは昔のままでセンターラインなく、崖上のすれ違いのできない区間がまだあります。注意して走れば大丈夫ですが、田舎道を走ったことのないドライバーには、かなりの緊張を強いる道です。そうとうに遠回りになりますが、151号線をずっと北上して、早稲田の交差点から244号線にはいり再び南下したほうが、気が楽かもしれません。こちらの道も天竜川沿いのワインディングロードですが、道幅は比較的広いです。

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 お神楽の像が立ってます。温泉以外にレストランやお休み処もあるので、ドライバーやライダーでいっぱいでしたが、お風呂まで入るひとは少ないのか、浴場はすいてました。

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 天空の城。三宣亭本館。旅館自体は飯田の市街と同じ高さですが、内陸を望む高台の崖に建てられた、文字どうり天空に浮かんだような温泉旅館です。展望はとても良いですが、向こうの丘とかに建物が増えていて、あまり良い景色とは言えません。冬場の空気が澄んだ季節には遠くの山々がきれいに見えるのかもしれません。お風呂の写真はとれませんでした。お風呂は大きいです。

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国道151号線 道の駅・信州新野千石平の近くにある和菓子屋さんの饅頭です。私は蒸し栗ようかんのほうが好きです。

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最近行った温泉

近場の日帰り温泉めぐりをしています。

笹戸温泉。豊田市の市街地から車で20分ほどにある温泉です。

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ひまわりの湯。長野県の平谷村にあります。国道沿いで、交通の便は良いです。プールぐらいもある露店風呂があります。ぬるぬる感のある湯です。

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おきよめの湯。天竜方面の谷底にあります。以前(10年ぐらい前)は小さな風呂屋ぐらいでしたが、改築されて場所も国道(酷道418号線というらしい)沿いに移転しました。なかなかぬるぬる感のある本格的なお湯です。4月に行ったときは満開の桜が露天風呂にかかっていました。

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恵那峡グランドホテルの露天風呂。塩水の温泉です。絶景ですが、うまくシーズンを外せば、のんびりできます。

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花白温泉

寒いので温泉巡りをしています。この温泉はうちの田舎の方にある小さなところです。温泉自体は何百年前から湧いていて何か(地元の人向けの小さな風呂屋?)あったらしいですが、ネットで検索できるそれなりの施設ができたのは、ここ十数年前のことです。実際行ったのは初めてでした。ひなびたところで、華やかな温泉宿を期待していくとがっかりするかもしれません。

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第三セクターの明智鉄道の駅から歩いて数十歩のところにあります。この駅、昔は単に"花白"と言ってましたが、名前が変わってました。

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ウオーキングのコースが設定されているようです。

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向こうに、しだれ桜の木が見えているので春はきれいかもしれません。

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温泉はラドン(ラジウム?)で元の温度が17℃となっているので沸かしています。薪で沸かしているそうで、間伐の木を引き取って地域の金券(?)かなんかと交換とかしてるとかテレビで放送したのを見た記憶があります。温泉としての効能があって昔から知られていたらしいですが、私自身は放射能泉は苦手で、のぼせたりします。逆にいうと、病気の時とかは効くということでしょうか?温まることはたしかにポッカポカに温まります。

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